お知らせ

お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか。不定期更新にもかかわらず、お読み頂きありがとうございます。今回は近況報告とお知らせをさせて頂きます。 一昨年、2020年5月から12月まで個人的にセッションを開催させて頂いた後(受付終了につき募集記事は…

それ以上でもそれ以下でもなく

思考の止んだ“そこ”にただ至福が流れる しかしここではまだ“至福を感じる何か”が微細な領域で働いている 至福を感じる“それ”を観れば至福も統合され感じなくなる 呼吸は自然に止む 呼吸が自然に止んだ“状態を認識”すると再び至福が現れる つまり“思考の動か…

終わり

目を閉じて眠る 朝目を覚ます 朝は昨日の延長だろうか? 皆記憶の中を生きている 生きるとは記憶なのだ 私とそれ以外を常に認識し 認識に解釈を与え それを何度も繰り返し 保持し 私だ あなただ 私の考えだ 誰かの考えだ 正しいか 間違えているか 勝るのか …

至福に溶ける朝 私というものはなく 全体性のバランスがただ 現れただけなのである

メッセージ

ただ中立に起きている事象に、どんな意味を与えていますか? 思考で意味を与えた数だけ体験があります。 人の思考は人の数だけありますから、人の数だけオリジナルの体験があるということです。 どんな意味を与えるか、人は選べます。 どんな体験にしますか…

欲求を手放す

期待がなければ、裏切られることもない。 期待の裏には“望んでいる結果”があり、望んでいる結果にならないときに人はその様を裏切られたと解釈するだけだ。 怒りも同じ。望む反応が返ってこなかった時に腹が立つだけだ。悲しみも同じ。 : 思い通りにならな…

無執着からの創造

伝える、という行為とは自他があるという前提の中でしか起こらないのだよね。だから、覚者は時に沈黙する。必要な時は勿論話をするけれども、無言以上に満ちた状態はないだろうと思う。無言の中に全てが在る。 そして地球時間でいうところの数年前には、今回…

自我が満たされることはない

自我を一時的に満たすばかりのスピリチュアルが蔓延している。一時的に満ちたような、やる気がでたような、幸福感を得たような、精神的に進化したような感覚になるそれらに、終わりはない。苦しみから脱却したくて、パッと見良いことばかり書いてある宣伝文…

真我からの知恵

真我から見れば全ては幻想だが、物質次元で過ごすには物質次元の扱い方、その知恵は必要だ。 例えば全ては幻想だけれども、火の扱い方は知っていた方がいいでしょう。火は火で良くも悪くもなく中立にただそう在る性質のものだけれど、扱い方によっては創造に…

探究

人間は執着と愛情を混同してしまうことがある。 内的探究を深めて行くと執着は薄らいでゆくが、その時人は好きだった人や好きだったことへの関心が無くなるような感じがして、寂しく思い、好きという気持ちにしがみつきたくなることがあるかもしれない。 し…

真我からの個として

言葉というもの自体が 真我からの分離を創造するツールなのだ りんご と口にした瞬間 りんごとそれ以外が表れる ひとつだけを表現することが 言葉のある世界ではできない ひとつ口にすれば 必ず“それ以外”が同時に創造される 全ては本来一続きのもので 何も…

やがて真我と表現の境はなくなる そこでは自我を否定することもできないだろう 真我と自我という極ではなくなるから 真我がただ現れていてそれを認識しているのが五感だ 真我は真我だけでは真我を表現することもない 五感は表現だ 五感は認識だ 真我の表現の…

幻想

人が人を羨む時、その人の背景にあるその他の事、目に見えない苦、歩んで来た過程の苦には気づいていない。人を羨むというのは視野が狭くなっている時に感じられる幻想だ。 人と自分を比較するのは、誰かより優れていると、分かりやすく認められるという社会…

物質と精神のバランス

あなたが今衣食住が充分に整っているなら、苦しみとは思考感情から来ている。お腹が空いているのに食べるものがない、とか、寒いのに着る物がない、とか、暴力に耐える日々を送っている、とか、そういうことは、まず物理的な側面から状態を変える必要がある。…

内的観察

内的観察とは、地道なものです。地道だけれど、それは確かに苦からの解放の道のひとつだと思います。その過程で観察する視点が全体に溶け去り、そこに真我が現れる。 真我が現れたら、そこでゴールなのではなく、本質からこの物質世界を体験して行く始まりで…

今朝の気づき

「苦しみというのは、本能なんだよなぁ‥。」と、いう観察と共に目を覚ます朝。私はこの個体で目を覚ます毎朝、それは気づきと共に始まる。寝ても覚めてもそこには瞑想状態があり、ずっと何かに気づきながら日々を暮らしている状態だ。常にふたつ以上の認識を…

2019年、諸々。

2019年、明けました。 今年も皆さまそれぞれの体験宇宙が、心身ともに満ち足りたものでありますよう。 近況。読む方によっては今更かもしれませんし、また読む方によってはそんな方法があるんですねと言う認識になるかもしれませんが、一昨年か昨年あたりか…

理由などない 理由とは思考の紐づけだ 思考が止む時にだけ真我は現れる 真我に理由はない ないのだ 自我からは生と死があるように見えて 生を良しとし 死を避けようとする しかしどちらも生じていない 生も死も幻想だ 身体というのも視点でしかない どこから…

真我

私は誰でもないということ。 個人的な“これが私”と感じている意識は、一つの葉がこれが私、と思っているようなものです。気づきによって視点が拡張してゆけば、私とは葉であり木全体であり、土であり水であり空気であり太陽だと気づくでしょう。境目なんてな…

ただ在るただ体験する

おはようございます。ブログの更新がしばらくお休みになっていました。ブログもツイッターもメッセージを書かせて頂いている時と言うのは自然と自動的に手が動くのでその流れに任せていましたが、この数ヶ月ブログに宛てるメッセージは浮かばないままでした…

貨幣制度と純粋な望み

精神的な探求をされていらっしゃる方に貨幣制度がしっくりこない人は多いです。貨幣を用いずとも人間は生きていけることを知識的、感覚的に知っている人々は、どんなに内観しても受け入れがたい、という状態になったりする。しかし、何千年と愛や精神性につ…

初めからここに

私たちは肉体を持った初め 源と一体でした そこにはまだ“自分”と“自分以外”という認識がありません 無我とは身近なもので 皆初めはそれそのものなのです “悟りは外には無いですよ” というのはそういう事です 最初から無我だし悟りだし源なんです 源なる視点…

ほんとうのあなた

ほんとうのあなたを生きるには ほんとうのあなたに一度還るしかない なんの制限もないあなたに あなたはほんとうの自分を 思考で探していたけれど 思考の無いところに出会えるのが ずっと在った 愛そのもののあなた それは慈愛や慈悲に満ちている様とはちが…

全容

観念すら愛である。 意識が進化したとき、観念もまた愛に見えるから、そう言った面でも苦はなくなる。観念とは、宇宙の循環の一部の働きなんだ。 観念によって体験し、観念によって喜び、観念によって縛られ、観念によって己を見つめはじめ、観念から解放さ…

幻想と表現と知恵

救いたいという心は 今救われていないという認識が前提にある その認識が世界を創造しているカラクリを 気づくといい 最初から最後まで 終始全ては救われている 不足が幻想だからだ でも だからといってこの地球で 何もしなくていいということではない 身体…

体験と循環

私とは何か。いつから私なのか。そんなことを十数年前に観察していた。私とは私を私と認識した時に私だと思えるだけだ。では認識しなければ?‥。 最初は理屈で紐解いた。理屈からして、私というのは認識でしかなかった。日常を送りながら、理屈で紐解いたそ…

創造主

旅先にいます。朝6時20分です。 明晰夢を見たあとにパッと目が覚め、突き動かされるようにこうしてブログを書いています。 誰もが皆、宇宙の根源から生まれた存在ですので、本来は“居るだけ”で必要なだけその物質体(肉体)は生かされるようになっています。精…

ひとつのマルから みんなになって ひとつのマルから みんなにみえて 境なんて いちどもなかったのさ でも 境がないから 境が見える夢を見たんだ キミはずっとすべてだし キミはキミを越えた愛なんだ キミはキミを越えた神なんだ あんしんしていいよ 夢をその…

サマディー、悟りの段階。あるがままに。

なんの想念も浮かばないので、“何かを伝えたい”もない。 この記事も書かなくてもよいかなという感覚であった。 静寂の銀世界に、わざわざ足跡をひとつつけにゆくような、そんな動力が必要だ。 静かだ。 : : 先日、インドの某アシュラムに長期滞在中の友人…

悟りと環境構築

何が起きた訳ではないけれど、幸せで眠れない。と、いうような事がたまにあって、今がそれだ。そして、ハートから溢れるそんなエネルギーを、誰かという“大きな私の一部”に分けたくなる。分けたいのは個人的な私から個人的な誰かにそうしたいのではなく、私…