あなたの気づきは唯一無二

先を行く人だけがグル(導師、教師)であるというのは地球的概念である。

 

そもそも宇宙的視点で観ると、後とか先とか上とか下とか過去とか未来はないですから。

 

球体が目の前にあるとするでしょう?
今、ここが上、頂点と決めても、ゴロンと転がしてしまえば上が上でなくなるのと同じことです。

 

上とか先とかは、今、決めただけ。
次の瞬間はもう違う。

 

 

私は、スピリチュアルや精神世界の多くの教えが、今も尚この上下や正解不正解から抜けてないなと感じます。

 

勿論、抜ける抜けないも地球の二極的な表現なので、このお話しにも表現に限界があるのですが‥それでも今日は敢えて書いてみようと思います。


ちなみに、なんどかTwitterなどでも書いたかもしれませんが、私は私の気づきを書いているだけで、特定のどなたかを否定するものでは決してありません。

 

また、私が正しいと主張するものでもありません。

ただ、私は私の表現をし、誰かの気づきのヒントになるかも知れないし、ならないかも知れない。

 

ただただ、それだけの事です。

今日も読んでくださってありがとう。

 

 

 

先を行く人だけがグル(導師、教師)であるというのは地球的概念である。

 

と、冒頭で書きましたが、

 

グルというのは人の認識です。
グルというのは結果周りがグルと見ているからグルなだけで、もしもほんとうに上下や後先の思考からその人が外れていれば、グルは自分をグルだとは感じていないでしょう。

 

私が最初の覚醒後、一番不思議に感じたのは、上下後先はないのに、なぜ“導く人”がいるんだろう。でした。


師弟子という分離感が、とても不思議だった。

また、覚醒したから、探求の終わりだと主張するその視点も不思議だった。

 

終わりも、始まりも地球的概念の認識でしかないから‥なぜそう言い切れるんだろうって。

 

でも、地球の概念を超えたことは地球の言葉には表せないから、方便としてそんな風に語るのかなとも感じていました。

 

実際私も多くを語るにあたりすべてが方便であっても、それしかできないから語ってきた面があります。(そしてそれしかできないことにもまた学びや気づきがあります。)

 

ほんとの所は、文字の先にある文字を超えたものをお伝えするための、文字です。

思考を超えた先にあるものに触れるための、文字です。

 

 

 

そして、覚醒しても、毎日何かに気づく事ができます。気づきに終わりはありません。

 

肉体がある限り、無数の認識が続き、認識とは必ず気づきをもたらします。

 

先日DNAに触れた記事を書いたように、私も毎日気づきがあります。

 

 


そして、その気づきのきっかけは、いつでも誰かとの関わりの中にあります。

 

私は地球の体験を今回この肉体を通ししていくにあたって、とてもユニークな設定がなされたようです。

 

私は、これまで地球に伝えられてきた多くのグルと言われて来た方々のやり方が、一切と言って良いほど取り入れる事ができません。

 

それは、取り入れたくない、のとはまったく違い、それはその方のやり方のひとつだね、という尊敬に似たその方への全肯定で、終わるのです。

 

もしくは、何かをレクチャーしてもらいに行ってみたい、と感じても毎度足止めをくらう。

そして、内なる声が響く。

 

「あなたは、あなたのやり方で、気づきなさい。」
(実際にはあなたという対極を指す言葉ではありません。言葉を超えたインスピレーションです。)

 

 


私には特定のグルがいないかわりに、言ってしまえば関わるすべての方がグルです。

 

お話ししながら、クライアントさんとの対話でも学び気づきます。友達との対話でも。

 

私はどこかの秘境にいかなくとも、修行場にいなくとも、何か特別なワークに参加しなくとも、気づきのきっかけは、自然に暮らしていれば、自然とやってくる。

 

もちろん、世でグルだとかマスターと言われている方に、思考の良し悪しではなく感覚として惹かれるのであれば、是非それは関わりの体験として会いに行ったり、何かを受けるのもよいと思います。

 

ただ、私はそれもよいけれど、それだけではないのよ。あなたには、あなたの気づきがあって、グルの言ったことを盲目的に信じると、それは新しい概念になってしまうかもしれない。と、いうことをお伝えしたい。

 

再三お伝えしている通り、気づきのヒントになるならよいのです。

 

しかし、グルの言葉=答えと思い込んでは、もうなにか曲がってしまっている。


あなたは答えを探しに行くのではない。
あなたはあなたに気づくために、誰かと関わる。グルであろうと、友人であろうと同じことです。

 

読んでくださって、ありがとう。