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独り言のように

私がこの何年間かTwitterやブログ等で

私の体験の話しをしてきたのは

私のことを知ってほしいからとは少しちがう

 

そもそも“それ”そのものであるとき

体験した個人は同時にないわけだから

“私の体験”という、こんな一言でさえ成り立たない

方便なのだ

 

ただ 全体性の流れの中で

語ることが 流れの一部だった

ただ それだけだ

 

くぅ。という呼び名は

Twitterで知り合った方々にいつの間にか

くぅちゃんと呼ばれるようになって定着したもので

初めは名無しのようにkuujigenというIDだけで

誰に向けるでもなく独り言のように真理をつぶやいていた

 

そうこうしている内に

ひとり、またひとりとフォロワーさんが増えて

そのうちセッションはしないんですか?

受けたいですとのお声を頂くようになった

 

最初はやんわりと濁していて

独り言のように呟くことを続けていた

濁したのは迷惑だったから、とかでは勿論なくて

そもそもやったことがないし

人ひとりの人生に寄り添う立ち位置の

そういうセッションを

そうそう気軽にハイやりましょう!

とはならなかった

 

だけどその頃

セッションを受けたいという

ご要望が止むことはなくて

(その節はありがとうございます)

内からやってくる感覚もそのうち

いつまで やらずにいるのだ?

という、ひろしを無視して進むぴょん吉のように

(ど根性ガエルは再放送で見た記憶)

止められないエネルギーに変化していった

 

じゃあ‥最初はモニターさんを募集しますね

と言うことで10名あまりにセッションを受けて頂いた

皆さん変容していく

セッションの内容はカウンセリングと

浄化のエネルギーワークと目覚めを促すディクシャだった

 

効果があることが明らかになって

本格的にセッションを始めたのは2012年だった

沢山のお申し込みがあった

最長で1年半(月2回)受けて頂いてすべての方が目覚めていった

中には1〜3回程度のセッションで目覚めた方もいらっしゃった

 

セッションを受け始めて3〜4名くらいは、自主的におやめになった方もいた

目覚めそうになると、自我が消える事

(実際は消えるというより主体と客体が統合した意識なのだが)

が恐くなってしまったり

自分の内を観ることが恐いとおっしゃって

 

それはそれでそういう縁だと思うし

私も当時は伝え方が未熟であったかもしれないし

とにかくお受け頂いたすべての方に感謝しかない

 

そしてまた、そうこうしている内に出会いが重なって

色々なヒーラーさんに目に止めて頂く流れとなり

(その節はありがとうございます)

ヒーラーさんのエネルギー調整をさせて頂く中で

私はこういう、エネルギーワーカーの世界を全く知らなかったし

エネルギーワークの相場みたいなものを知らなくて、色んな方から安すぎるわよと助言を頂いた

 

私は度々無償で提供したい気持ちと

日々の物理世界の生活には少なからずお金が必要だというバランスに揺れていたとおもう

お金のことは、私もセッションをしていきながら学んでいった

 

今でこそ経験をつんでなんの準備もなくスッとセッションに臨めるけれども、当時は開始1時間前から瞑想をして心身を清め、終わった後にも1時間くらいはクライアントさんのカルテを書いたり、セッションに関することに向き合っていた

 

Twitterのおふざけ呟きとはうらはらに

全力でクソ真面目にやってきたとおもう

(ちなみに私が仲良いヒーラーたちは皆本当にエゴのない真摯な人たちです)

 

時にクライアントさんの状態により、申し込まれた時間内でエネルギーワークが充分でなかった場合にはお休み頂いている際にあとからこっそり遠隔でワークを続けたこともあった

 

セッションをさせて頂けば頂くほどに

私自身の学びにもなったし、また純化していった

クライアントさんという存在がありがたかった

 

 

 

私の活動は時折区切りをつけて休止に入る

きっかけは様々だが

そういう時はだいたい内面が静かすぎて

そこでもうすべてを果たしたような

在るだけですべてを完了している

そういった静けさから動かなくなる

なにも言うことがない

 

そういった流れが来るたびに

呟くことも

活動もこれにておわり

という感覚になってることは正直なところだ

 

だけど

終わりは始まり

背中合わせで

毎度、もうよい

と感じても

また始まる

始まりも終わりも

なきところで

明日のことは知らない

毎瞬間

この瞬間に

ただ 在る

それだけだ

 

 

 

 

この記事の冒頭で

私の体験の話しをしてきたのは

私のことを知ってほしいからとは少しちがう

と書いたけれど、それは今書いているこの記事も同じことで

誰かに読んで欲しいから書くというスタンスではない

 

そういう、流れだから、書く

それ以上でもそれ以下でもない

 

例えばひとつの花が咲いてゆくときに

そこには種だけでなく土もあって水もあって日の光もあるでしょう

 

色々なものが相互作用で紡ぎあって 宇宙は 世界は成り立つでしょう

 

そこに、なんで

という理由はない

 

それが宇宙の流れだ

それだけだ

 

書くことにより誰かという私(すべて)に紡いでいる

それだけだ

すべては分かれていないから

 

ありがとう

ありがとう

 

 

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