山と蜂と様々な領域の視点

河原にいる。今年4月、東京を離れてある場所に引越しをした。30分も車で走れば山の中に入れて、綺麗な河が流れている。ひと月に何度か私はこの河原に1人でやって来て、

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今日の午後、ここまで書いたときにある事が起きた。その体験をここに記す。



 


「お前が蜂と一体の時、お前は蜂を、コントロールできる。」そう聞こえた。

 

河原に車を停車して車の窓を開け放していたら、大きな蜂が車内に入ってしまった。蜜蜂ではないようだ。私の目の前をブンブンと羽を鳴らして飛んでいる。私は蜂のいる位置を見届けた後、そっと車外に出た。刺されたりはしなかったが、さて困った。

 

こう言う時は面白いものだ。内面は静かであるのに、表面ではどうしたら蜂が車外に出て行くかと試行錯誤する。帰りの車に蜂が御同行では困る。蜂は私を試すようにフロントガラスの近くでじっとしていて、クーラーの風が当たる位置に留まっていた。

 

私はそっと車内に手をのばし、エンジンをかけた。窓から出て行きそうに見えたのでクーラーの風力をマックスにし風で煽ってみたが、それでも蜂は少し体の位置を変えただけで、そこに居るままだ。車のガラスに張る日よけシートでパタパタと煽っても、動かなかった。

 

私はどうしたものかと考えた末、私の背後にたたずむ木に蜂を車外に出すにはどうしたらいい?と聞いた。木は幼子に微笑むようなエネルギーで、蜂ごときでそんな様子では‥、と優しく答えた後知恵をくれた。

 

その知恵にしたがい日よけシートを丸めたまま、その先端を蜂に近づけると、蜂はよじよじと日よけシートに登った。登ったのを見届けると、私はそのままシートを車外に出して、蜂を逃す事に成功した。

 

その後車に乗って全ての窓を閉めると同時に、雨が降り出した。私は河原の土の上に停車した車がぬかるみにはまらないよう、その場を後にする事にした。

 

そして山道で聞こえてきたのが「お前が蜂と一体の時、お前は蜂を、コントロールできる。」だった。それは原理は分かるのだが、私は虫と同化するのはそんなに得意ではない。その昔様々なものと物理体の制限を超えて一体となる体験をしたが(空の一体とはまた違い、様々なものの視点になりそのものを体感する)、一体になると、場合によってはその物の構造まであらわに見えてしまう事がある。虫の構造まで見える場合、割とグロテスクだったりする。昆虫マニアにはたまらんかも知れないが、私は別の意味でたまらんのだ。

 

無我の境地でそれを体感するなら、グロテスクという判断も、それをあまり見たくないなということも消滅するからまだいいのだが、私は別に今無我になりたくない。

 

で、蜂をコントロールするには他にも方法があるのを知っていた。それは愛を持ってお願いすることだ。車外に出て行ってくださいね、と。しかし、これもまた充分に気をつけないと、逆に好かれてこちらに来てしまう。(この件についての観察とエネルギーコントロールがいまひとつなのは分かっているが、探求する気も特に今起きない)何度か虫についてはそういう事を経験しているから、今回は物理的な対処を木に聞いて事なきを得た。

 

すべてと極限まで一体なら、それは神そのものの意識と同じであるから、神の内にあるすべては意のままになる。それは知っている。そういう体験をしていた時期もあった。

 

私はその時思った。永遠に意図した事だけが目の前に表れるだけって、つまらんな。と。1人で次の瞬間なにが起こるか知っていても、なんのリアクションも生まれない。知ってた事が起こりました、以上。なのである。これは面白くない。

 

人間の体を通して何かを体験するとき、色々な事を知らないというのは体験ギフトだとそこで感じた。人間の体験は未知だから面白い。

 

なんのオチもまとめもありませんが、今夜はこれで。いつも読んでくださってありがとうございます。感謝します。


P.S.山はほんのり紅葉し始めました。

 

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