理由などない

理由とは思考の紐づけだ

思考が止む時にだけ真我は現れる

真我に理由はない

ないのだ

 

自我からは生と死があるように見えて

生を良しとし

死を避けようとする

しかしどちらも生じていない

生も死も幻想だ

 

身体というのも視点でしかない

どこからどこまでが身体なのか

身体と思う時

身体が在る

 

世界とは認識だよ

認識した時に見る事ができる

 

真我には虚しさもない

幻想に対する虚しさもない

 

真我と幻想は同時に在る

真我は真我だけでは真我を知ることはないから

しかし真我が真我を知る時真我という言葉もない

そこには何も生じていない

 

安心して意味をつけるといい

そこに何の意味もないから

安心して幻想を体験するといい

それは幻想でしかないから

 

 

 

くぅ。(@kuujigen) - Twilog

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