欲求を手放す
期待がなければ、裏切られることもない。
期待の裏には“望んでいる結果”があり、望んでいる結果にならないときに人はその様を裏切られたと解釈するだけだ。
怒りも同じ。望む反応が返ってこなかった時に腹が立つだけだ。悲しみも同じ。
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思い通りにならない苦しみを手放せばいい。
思い通りにしたいという欲求を手放せばいい。
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“楽になりたいから、内観する。”
これは楽という結果を得るための内観だ。それは欲求だ。“楽になりたい”も手放す先に、結果に囚われない楽があるのだ。それは苦楽という二極の内の楽ではない。苦も良し楽もよし何もかも良しの楽だ。
結果に囚われず内観し、結果に囚われず行動し、結果に囚われず言動し、結果に囚われず静寂の中に在ればいい。“静寂に在ろうとする”のではない。騒がしい内的な動きも全てそれで良いと受け入れ切ったところに静寂はただ、在る。