全容

観念すら愛である。

意識が進化したとき、観念もまた愛に見えるから、そう言った面でも苦はなくなる。観念とは、宇宙の循環の一部の働きなんだ。

 

観念によって体験し、観念によって喜び、観念によって縛られ、観念によって己を見つめはじめ、観念から解放される。その全容は源(空、真我)から見れば幻想と言えるが、源から発生した原初の意である私は私を知りたいというそのエネルギーが在るのはまた事実である。ただ体験し、ただ知り、私という源のその愛を拡張していくこと、それは全てだ。

 

そしてそれは目指すものと言うより、体験しては、常にここにあるものという確認によって、自然と拡張する。それは木がその年輪を重ね深めるようなものだ。この世は幻想なのか?答えはyesでありnoだ。幻想ではあるが、在るのもまた事実だから。難しいことは考えずに、望んで叶えて、満ち足りて、その執着を手放せばいい。

 

人間は得たら掴んでいないと幸せが維持できないという勘違いを起こしている。存分に体験したら、しつくしたら、それは四季のように移ろいでゆく。その自然のサイクルに乗りながら、あらゆる面で循環し、私という個人でありながら全体であるその愛を知る。

 

くぅ。5月20日瞑想会(@kuujigen) - Twilog

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