貨幣制度と純粋な望み

精神的な探求をされていらっしゃる方に貨幣制度がしっくりこない人は多いです。貨幣を用いずとも人間は生きていけることを知識的、感覚的に知っている人々は、どんなに内観しても受け入れがたい、という状態になったりする。しかし、何千年と愛や精神性について語られて来ても、貨幣制度がなくならないのはなぜか。

 

そこを観察していくと、貨幣制度を否定していても仕方のないことが見えて来ます。“否定するものは有り続ける”宇宙の仕組みに気づいてください。否定ではなく受け入れた先で、貨幣制度に対する精神的な縛りを越えますし、貨幣が有っても無くても精神には大差がないという所から貨幣を活かした時、見えて来るものがある。

 

好きな仕事をしてください。仕事をしたくないなら、したくない気持ちを受け入れてください。ご自身に向き合ってください。どんな現実なら心身が楽か書き出してください。そしてそれは現実化すると決めてください。

 

余談ですが仕事をしたくない、一生遊びたい、という人も、いざその現実が来た時に、しばらくすると今度は何かをしたくなったりします。人間は遊びもやりつくすと暇になってきて、何か新しい循環を起こしたくなります。自分だけ満ちていてもつまらない事に気づいた時、仕事をしたくなったりする。面白いでしょう?でも本当にある話しの一つです。

 

なんにせよ、まずあなたを知る事です。あなたの見る世界が、あなたの世界なのです。あなたの救い主はあなたです。

 

私はこの世は認識による幻想だ。ということをベースにお伝えしてきました。それはブレません。しかし、幻想は幻想だけれど、同じ幻想なら尚もある心身の感覚が、充足する幻想体験の方が好ましいと思うでしょう?

 

それは自我の欲以前に物質世界の仕組みからそう感じる、という事ができます。動植物を見ても分かるように、それらの進化は自我の働きを越えています。生き残ること、発展しようとする事は、自我以前の仕組みです。

 

生死というのは源なる意識、真我、空から見れば認識による幻想ですが、人間の体に認識があるとき、物質世界の自我以前の仕組みに沿う働きがある。生き残りたいし、発展したいのです。それは仕組みです。

 

(仮に私は真我覚醒したから生き残りたいも発展したいもないわ、とお思いになる方も、微細な領域ではその仕組み上にあるからこそ、今体が物質として在ります。)

 

ですからあなたは遠慮なくあなたを満たして良いです。それは欲を越えた働きですから、満たして差し上げて良いことです。

 

私は自我からくる欲を満たせと言っているのではありません。なぜなら自我からの欲は欠乏から欲しがっているだけだからです。欠乏を埋めるために何かを得ても、根底の欠乏は残っていますから、また同じ欠乏感がやってきます。欠乏をいつから感じているのか、その始まりをしっかり見、いかなるご自身も受け入れたところから、尚も残る望みを叶えてあげてください。

 

純粋な望みを、叶えてあげてください。

 

 

私は今自我からくる強い欲はありませんが、純粋に湧いてくる喜びにしたがって、“ただ知る”という宇宙原初の望みを叶えています。

 

私はこの個体から見える世界を楽しみます。美しいエネルギーの山や河がとても好きだし、オシャレなカフェで過ごすのも好きです。満ち足りたエネルギーや空間等を感じるのが好きなのです。

 

人によってはそれが音楽かも知れないし、絵を描くことかも知れないし、科学的なことかも知れないし、ただ家族と一緒に過ごすことかも知れないし、料理をすること、走ること、時に何もしないこと、かも知れない。

 

私は友達と話すことも好きだけれど、それと同じくらいに、一人きりで居るのが好きです。

 

私は自分が、人が、全てが自然のように常に一定ではない事を受け入れています。

 

そして全てがそれで良いのです。

 


取り留めもなく、言葉がやってくるままに書きました。書き出したときツイッターに投稿するつもりだったのですが、長くなったのでブログにアップすることにします。

 

読んでくださってありがとう。

 

くぅ。(@kuujigen) - Twilog
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