2019-01-01から1年間の記事一覧

欲求を手放す

期待がなければ、裏切られることもない。 期待の裏には“望んでいる結果”があり、望んでいる結果にならないときに人はその様を裏切られたと解釈するだけだ。 怒りも同じ。望む反応が返ってこなかった時に腹が立つだけだ。悲しみも同じ。 : 思い通りにならな…

無執着からの創造

伝える、という行為とは自他があるという前提の中でしか起こらないのだよね。だから、覚者は時に沈黙する。必要な時は勿論話をするけれども、無言以上に満ちた状態はないだろうと思う。無言の中に全てが在る。 そして地球時間でいうところの数年前には、今回…

自我が満たされることはない

自我を一時的に満たすばかりのスピリチュアルが蔓延している。一時的に満ちたような、やる気がでたような、幸福感を得たような、精神的に進化したような感覚になるそれらに、終わりはない。苦しみから脱却したくて、パッと見良いことばかり書いてある宣伝文…

真我からの知恵

真我から見れば全ては幻想だが、物質次元で過ごすには物質次元の扱い方、その知恵は必要だ。 例えば全ては幻想だけれども、火の扱い方は知っていた方がいいでしょう。火は火で良くも悪くもなく中立にただそう在る性質のものだけれど、扱い方によっては創造に…

探究

人間は執着と愛情を混同してしまうことがある。 内的探究を深めて行くと執着は薄らいでゆくが、その時人は好きだった人や好きだったことへの関心が無くなるような感じがして、寂しく思い、好きという気持ちにしがみつきたくなることがあるかもしれない。 し…

真我からの個として

言葉というもの自体が 真我からの分離を創造するツールなのだ りんご と口にした瞬間 りんごとそれ以外が表れる ひとつだけを表現することが 言葉のある世界ではできない ひとつ口にすれば 必ず“それ以外”が同時に創造される 全ては本来一続きのもので 何も…

やがて真我と表現の境はなくなる そこでは自我を否定することもできないだろう 真我と自我という極ではなくなるから 真我がただ現れていてそれを認識しているのが五感だ 真我は真我だけでは真我を表現することもない 五感は表現だ 五感は認識だ 真我の表現の…

幻想

人が人を羨む時、その人の背景にあるその他の事、目に見えない苦、歩んで来た過程の苦には気づいていない。人を羨むというのは視野が狭くなっている時に感じられる幻想だ。 人と自分を比較するのは、誰かより優れていると、分かりやすく認められるという社会…

物質と精神のバランス

あなたが今衣食住が充分に整っているなら、苦しみとは思考感情から来ている。お腹が空いているのに食べるものがない、とか、寒いのに着る物がない、とか、暴力に耐える日々を送っている、とか、そういうことは、まず物理的な側面から状態を変える必要がある。…

内的観察

内的観察とは、地道なものです。地道だけれど、それは確かに苦からの解放の道のひとつだと思います。その過程で観察する視点が全体に溶け去り、そこに真我が現れる。 真我が現れたら、そこでゴールなのではなく、本質からこの物質世界を体験して行く始まりで…

今朝の気づき

「苦しみというのは、本能なんだよなぁ‥。」と、いう観察と共に目を覚ます朝。私はこの個体で目を覚ます毎朝、それは気づきと共に始まる。寝ても覚めてもそこには瞑想状態があり、ずっと何かに気づきながら日々を暮らしている状態だ。常にふたつ以上の認識を…

2019年、諸々。

2019年、明けました。 今年も皆さまそれぞれの体験宇宙が、心身ともに満ち足りたものでありますよう。 近況。読む方によっては今更かもしれませんし、また読む方によってはそんな方法があるんですねと言う認識になるかもしれませんが、一昨年か昨年あたりか…