物質と時空を超える

いつものようにベッドに入るも、眠気がこないのでブログの編集ページにこうして文字を打ち込んでいる。

 

そもそも人間は、真我そのものである時眠ることはない。食べることもない。眠ると眠らない、食べると食べないという二極を超えてしまうから。

 

真我そのものであるとき、自己は存在しないから、もはや“私”と表現する事ができないのだが、

 

敢えて無理やり書くとすれば、私は真我そのものに深くあったとき、その眠らない食べない領域を経験した。地球の時間軸で言うなら2008年のことだ。

 

肉体の持つ制限がそこにはなかった。体が疲れることもないし眠らずとも食べずともいられた。またその上で無限に歩けてしまいそうな体力もあった。いや、体力というか無限に循環するエネルギーがそれを可能にした。体力があるなしは、きっと関係がなかった。

 

誤解のなきよう書いておくと、悟ればみんなこうなるわけではない。大概はいっとき真我に触れて、すぐに自我に戻る。

 

また同じように悟り=不思議な能力が開花するという認識は誤解だ。

 

悟らずとも不食になる人もいるし(注:自己流で実践しないこと。私は不食を否定もしないがお勧めしているわけではありません。)

 

生まれながらにサイキック能力が開いてる人もいるし。

 

悟りとそれらは無関係なのではあるが一方で真我そのものであるとき、真我の中にはすべてが含まれているわけで、内外が消え摂取するしないを超えてしまう。疲れる個人が消滅しているから、疲れようがない。

 

私の場合は、当時これを説明する言葉を持ち合わせていなかったため、

寝ない食べないことは家族にとっては非常に心配なことだった。

説明できないから、家族を安心させるために努めて出された物を食べた。

最初は、自分で自分を摂取するような、おかしな感覚であり食べるという分離を作ることが少し大変だった。

 

眠ることも、意図して睡眠を具現化して、眠った。

 

それから時は過ぎて、食べることも眠ることも問題なくできるようになった。

 

だから今は寝るし、食べる。

 

これを書きながら、あるヒーラーさんに 普通は人間的な事を超えてくのをみんな目指したがるところを、くぅちゃんは真逆をやってきたのね。と面白がられたことを思い出す。

 

みんな目指したがるかどうかは分からないが、目指すとか目指さないとか、保つとか保たないとかそういう意識もないとき、

 

ただ全体性の流れの中で、なるべく地球的に破壊に向かないように、調和の選択として、この体を通してもう一度分離を創っていった。

 

分離とは、進化である。

一度目の覚醒ではできなかった事が、今一度分離と統合という二極の体験を繰り返すことにより、発動していなかったDNAが動き出す。

 

そして前フリが長くなったが、プロフィールの最後の方にほんの一行追記した。

 

テレポーテーションしました。って。

 

この数年で、物理的な制限を超えて身長や体型が瞬時に変わるようになり、一度瞑想会の座談の時間でみんなの前ででっかくなったりちいさくなったりしてしまった。(私としては非常にギャグな展開である)ザワザワする人、当たり前に受け止める人、色々だった。

 

別にサイズが変わることは意図してやってはいない。しかし、同時に人間の可能性を訪れた方に見せるための様だったと理解している。

 

ある時はぴょすこと同じミネラルウオーターのペットボトルを並べて置いておいたら、私のペットボトルがでっかくなったりちいさくなったりした。

 

ちなみに、空中から(今のところ)パンが出たりはしてないので、そこはもうパン屋さんに行くしかない。焼きたてを買うしかない。

 

そして体のサイズが変わる錬金術は、現代ではまったく役立たずなのである。用途が見当たらない。

昔の人が道すがら目の前にでっかい岩があって通れないから、体を小さくして通るとかならさぞお役立ちだったことだろうけれど。

 

で、同じような理由で、テレポーテーションもこれまでしそうになっては、食い止めていた。しかし、3回目にして私は負けた。

 

負けたっていうか、勝手になっちゃった。

 

ぴょすこにテレポーテーションしたあとLINEで報告したら、もう諦めろと言われた。

 

私がぴょすこと活動してきた理由のひとつはこういうとこでもあると思う。

 

私の体験を特別な事と思わない、寧ろギャグだね。くらいのテンションで聞いてくれる、かといって勿論バカにするわけでも、いい加減に扱うでもなく、アッサリした切り返しの中に愛がある様が心地よいのだ。

 

今はTwitterにはいないが、交友関係が続いている、一部の方はご存知であろうてんちゃんもそんなコだ。

 

話しは少しそれたが、初テレポーテーションは車の運転中に車ごと起こった。

 

幸い家からそう遠くない場所から、近所へのテレポーテーションだったので、無事帰ることができた。

 

時空の歪みを感じた瞬間、次の場所にもういた。

想像してたよりずっとナチュラルな体験だった。

 

これを書きながら、一方ですべて当たり前の体験だという視点も実はある。

 

アストラル界の住人であれば日常茶飯事、我々が顔を洗うくらいに簡単な話しであるし、

 

寧ろそういった視点から見たら制限のある物質界は、すげえ!分離してるぅうう!

 

って逆に新鮮なことでしょう。

 

なにも目指さなくていい。

 

しかし、こういう体験が訪れる場合もあるね。

 

っていう情報シェアの記事でした。