初めからここに

私たちは肉体を持った初め

 

源と一体でした

 

そこにはまだ“自分”と“自分以外”という認識がありません

 

無我とは身近なもので

 

皆初めはそれそのものなのです

 

“悟りは外には無いですよ”

 

というのはそういう事です

 

最初から無我だし悟りだし源なんです

 

源なる視点に沢山の認識を重ねた時に

 

やがてそれは観念と呼ばれるものとなります

 

それはただ

 

連鎖した反応です

 

行為や観念を良し悪しで測ったとき初めて

 

そこに善悪優劣が生まれます

 

源そのものに

 

何重にもかぶせてきた観念

 

認識を一枚一枚解いていったなら

 

玉ねぎを剥いて剥いて剥き続けたときに

 

中心には何があるでしょうか

 

それと同じようなことです

 

中心の

 

源なる

 

神なる

 

命そのものである

 

永遠のそれは

 

外にはありません

 

あなたが新しい何かに成ることを

 

得ることを

 

悟りと呼ぶのではありません

 

ずっとそれそのものでした

 

そして

 

それそのものは

 

生きてもいなければ死にもしない

 

永遠なるそれ

 

なのです

 

永遠なるそれから観ると

 

全ては認識を重ねた幻想であると腑に落ちます

 

そしてまた幻想は幻想であっても

 

それを軽視することも無視することもなく

 

源から派生した

 

体験のツールとして

 

楽しむことさえできるでしょう

  

私とは

 

あなたとは

 

認識の連鎖です

 

私とは何か

 

それを観察して紐解いた先に

 

源は現れました

 

初めからずっとここに

 

あったもの

 

 

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日光を散歩

 

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