言葉はきっかけ
それを今しかないって、先人は表現したんだと思うよ。でも、もっと言ってしまえば、今も認識だから、今すらない。
— くぅ。 (@kuujigen) 2016年8月13日
とにかくね、言葉に引っかかって訳が分からなくなるようなら、全部忘れた方がいい。答えなんてない(答えを掴むのも思考だから)んだから、キミが今どうあるかだけでしょう。」
続いてこうも話した。
私はね、私のTwitterでさえ、読んでこんがらがるくらいなら読まない方がいいって伝えてるの。
友人は笑った。
でも、ほんとそうなのよ。
言葉が気づきのきっかけになるならよいけれど、言葉に縛られて思考がぐるぐると回ってしまうようなら、それは本末転倒なの。
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友人に話したことは、すべての方にお伝えできることだ。
スピリチュアルや、精神世界系の本やブログやYouTube等で、思考に思考を重ねていないか、よく観察して欲しい。また、読んで知った気になって、エゴが増長していないか観察して欲しい。
私は幸いにも悟りと言うものを知らずに、様々な人生体験をしている内に、ただただ人間の幸せとは心次第であると気づき、己を縛りつけているその心がどうなっているのか観察に観察を重ねた結果、求めてもいないのに悟りが勝手に表れた。
ただ、それだけである。
どんな人の言葉もただ、きっかけである。
誰かの言葉が“正しい”のでも“間違って”いるのでもなく、それを見聞きしてあなたは何を感じたのだろうか。