すべてを内包するもの

不思議なことは

それが稀なことだから不思議なのであって

常なるものとなったとき

それは不思議でもなんでもない

 

例えば

スマフォをね

江戸時代に持って行けたとして

そこで誰かに見せたなら

江戸時代の人は魔法か何かだと思うかも知れない

神の仕業だ!

ってね

 

現代ではもう

当たり前のようになっているでしょ

不思議でもなんでもない

 

私はこの身に開いた能力の話を

ブログでもTwitterでも書いているけれど

それは不思議なことでも

特別なものでもないの

すべての人間が本当は潜在的に持っているもの

 

そしてそれらの能力を開くも開かないも自由で

開いたから良いとか悪いとかもない

 

開いたなら開いたなりに

たくさんの事を学ばなければならないし

 

昔の私は単純に

色々見えたらどんなにいいか

って思っていたけど

 

見えるってことは

人間の素晴らしい部分も

そうでない部分も

丸ごと無条件に受け入れるということ

 

受け入れるキャパを養うには

やはり自身の精神的成長が必要になる

探求が必要になる

 

拒否感がなくなるまで

心を洗わない限り

見えるって事は時に苦しみだろう

 

見えるっていう慢心も捨てなきゃならない

特別な存在

誰かより優れる存在は

どこまで行っても居ないって事を

しっかり知らなければならない

 

 

また

悟り=能力が開くということではない

悟ってもなにも見えない人も沢山いる

超人になる訳ではない

至ってふつうだ

 

いいや

能力が開いたって

至ってふつうだ

分かるかい

 

私の  能力

私の  力

私の

私の

 

そういう我をすべて捨てるがいい

 

そう

そんなの他の事も同じ

私のもの  と思って

それを掴みつづける時

人は苦しみを体験できるのさ

 

分かるかい

分かるね

そうさ