空と表現の色と無常

空の領域以外では、いかなる人間でも全てを語る事はできません。ですから所謂覚者と言えども、覚者と覚者の伝える表現が完全に一致することはありません。どんなに深く覚醒しようとそれは同じことです。なぜなら言葉にした時点で個性の色が着くからです。時には同じ話が真逆の言葉で表現される場合もあります。

 

だからもし、あの人はこう言ったがこの人はこう言っている、どっちが本当だろう?と思う事があれば、そのどっちが本当か?を探すのをやめる事です。しいて言うなら、すべてが良いけれどもなにが“その時の自身”にフィットするか?それだけです。

 

そしてそのフィットさえ、変化するかも知れないししないかも知れない。この世の全ては移ろいゆくもの、変化するもの、無常であるから。

 

この世に肉体を持ち物心をついてから、人間は正しい事探しに意識が固定されて来ました。常に正解や良き状態を達成、または維持するという幻想に縛られて来ました。

 

そう言った幻想から解放されてゆくときのヒントに覚者の言葉を見聞きするのは手助けになると思います。しかしそこでまた正解不正解探しにはまってしまわないよう、ご自身を観察されてください。

 

人は心も行動も状態も本来流動的なものです。自然界の動植物のように、季節のように、天気のように、本来は流動的です。正しさも間違いも流動的です。見方が変われば事実は変化する。変化するとは、固定されたものは何も実在していないと言うこととイコールです。