宇宙

宇宙の次元が開くっていうのは、様々な関わりの中で起こるエネルギーのやり取りが重要だね。だからと言っていつもいつも誰かと居る必要もないけれど。

 

たった独りになってみて、そこに生まれる様々な思考感情感覚を観察するのもそこでしか観れないなにかがあるし、だからと言って何年も何年も独りで居てもそこから開く宇宙に限界はあるだろうし。

 

何事においても呼吸のようなものだよ。片方だけではバランスが悪い。吸いっぱなしの人間も吐きっぱなしの人間もいないでしょう。人間の在り方そのものが、宇宙が、そういう事なんだよね。

 

誰かと関わって気づく事もある。独りになって気づく事もある。人間同士の関わりを呼吸に例えたけれど、暮らしのすべてがそうだよね。

 

眠りすぎても眠らなすぎても、食べ過ぎても食べなさすぎても、身体的にバランスが悪いでしょう。身体的な過ごし方のバランスが悪ければ精神のバランスにも関わるし。

 

(これを読んでバランスに気をつけよう、と気をつけすぎたらそれもバランスが悪い(笑)気をつけすぎることは緊張だから。)

 

ありとあらゆる事がそういったバランスに在る。(その二極を超えて不眠不食を表現する宇宙(人)もあるけれど、今度はその宇宙においてのバランスを知ることになるだろうね。)

 

全ての中間を常に保とうとしながら二極を体験する事により、宇宙っていうのは拡張するんだ。宇宙っていうのは内なる宇宙、外なる宇宙、内外のない空であるそれ、全てを差すよ。

 

人間は人間にとっての良き形を保ちたがる意向にあるけど、二極を揺れては中間(空)に戻るという揺らぎが自然な形なんだよね。

 

ひとつの状態を保とうとしなくていいわけ。
ひとつの何かに固着することが緊張であり、心も身体も固めてゆくよ。まぁ、固めてみる体験すら、二極の揺らぎなのだけど。

 

そうして、二極を揺れては中間(空)に戻るという揺らぎの全容を“良し”とする様(受け入れる様)を、時に精神世界の言葉上では“宇宙に委ねる”って表現になる。

 

だから、宇宙に委ねてれば“普遍の良き状態(人間にとっての都合の良い状態)に到達して、それを更には保てるなんて思い込みがあるなら、その思いはリセットしてもいいだろうね。

 

地球の全てを見渡してみると、片時も同じものはないよ。例え同じように見えたとしたら、それは宇宙の揺らぎ、変化が非常にゆっくりなだけだ。

 

 

宇宙は呼吸だ。
そんな表現を以前にもしたと思う。


でもそこからまた100周くらい回って、今また宇宙は呼吸のようなものだって表現をしてる。

 

人間て面白いよ。何回も何回も沢山のことに気づいて、気づきを拡張するからね。

 

でもそれこそ宇宙の表現だよ。

 

はじめに宇宙が宇宙に気づいた時から、そうして拡張を続けてるんだ。