多次元と悟りと日常

おはよう。

数ヶ月ぶりの更新です。

Twitter上ではメッセージがやってくるたびに書き綴っていますが、メッセージはいつも突発的に脈絡なくやってくるので、パッ!っと書いて終えることができるTwitterが、合っているし楽なんですね。

 

対してブログというのは文をまとめていく作業が僅かに挟まるので、感覚的には少しスローな感じになる。風のように軽やかに、その瞬間にしかいないことが多い意識としては、そのスローさに意識の密度を合わせる感覚に中々ならない、というのが本音です。

 

別の言い方をすれば、いつも最適なことが起こるから、Twitterであってもブログであっても、書く時がその時。という感覚でもあります。

 

常にその瞬間にしかなく、また同時に多次元的な意識である脳内を、文字にするのは難しい。宇宙人がミステリーサークルでメッセージを伝えようとする感覚がちょっと分かるような気がします。絵とか、図形とか、音とか、そういうものには無数の情報がある。無数の情報を、パッとその中に表す。

 

今朝もね、起き抜けの寝てると起きてる、の間の意識の中で、私は別のパラレルワールドをリアル体感で体験していました。それは夢を見てる時の感覚に似ているけれど、物に触った時の体感だとか、におい、そういうものがとてもリアルなんです。で、そのパラレルワールドを体験しながら、それを俯瞰している多次元意識も同時にある。体験しながら次元と次元の関係性の理解をしていたりだとか、パラレルワールドの中で目に見えない存在からメッセージが来たりだとか、パラレルワールド内の日常でも今居る現実と同じように行為をし、何かを感じたりしながら、その感じてる事に対して、多次元的な解説が入ったりもする。で、目が覚めた時、目が覚めた意識でまたそれらを多角的に理解する。

 

朝から忙しい感じですが、本人としては非常にリラックスした状態だし、体はほんのり至福感もまじる場合もあります。今も、体はほよほよゆるゆる、気持ちがよい。

 

目覚め(非二元の悟り)の話でよく、すべて幻想であり実在していない、という文句をよく目にするようになってきた昨今ですが、“自分”だと思っていた意識が全体に溶け去ると、すべての境が消滅します。そこにはあなたも私もいない、物もない、愛しかない、愛すら愛と言葉にするまで愛という感覚ですらない、何も無くて全部在る、その中には多次元も存在しません。

 

では多次元というのは何かというと、その何も無いものがすべてに表れていく時の仕組みのことです。何も無いものが、なぜすべてになって表れたかといえば、純粋にすべてを知りたいとそういう意が最初にあったからです。

 

ですからすべて幻想、実在していないというだけでは悟りの段階としては半分行ったところです。それを悟ったところで、肉体の感覚はあるし、今までの暮らしも続きます。当たり前にそこに人間としての生活があるのです。なぜすべて幻想であるのに、それらがあるか?って事に気付かないと、場合によっては投げやりになってしまう。非二元的な伝え方では、投げやりなるのでさえ、考え、思考でしかない、と言うかも知れません。その伝え方が間違ってるという事ではありませんが、それは見方の一部だということです。

 

何も無いものがすべてを知りたかった、という悟りが起きると、何も無いがすべて在る宇宙のその呼吸のような全体性を、肯定感で見ることができる。

 

その肯定感の上で、宇宙の成り立ちを見ていく。それが多次元感覚です。それは中立な意識でなければ、正しく見ることは難しいかも知れません。意味づけがなされたら、見えた仕組みが解釈によって曲がってしまうから。解釈によって曲がってしまうというのは、簡単にいえば多次元の成り立ちに善悪や優劣をつけてしまっては、それもまた幻想ドラマである、ということです。幻想ドラマを悪いと言っている訳ではありません。でも、ヘタすると魔境と言われる意識に入ってしまうから、中立な意識で見ることが大切なのです。そういう意味では非二元の悟りを経ることは大切です。

 

魔境というのは、純粋な意識で入ってしまうから、中々気づけない。例えば人類が楽になるようにという慈悲を持っている場合に、導けるのは私だけ、真実を知っているのは限られた存在だけ、という思い込みに発展していくことがある。それはもう悪気がゼロなので、そこにはまった場合には本当に深い内観が必要になる。

 

導くも導かれるもなく、すべてが同じ宇宙の根源の表れである。

 

その上で、その体を通してしか知れないことを体験していくために、その体が在るということを体現してゆけたら、それは本当に豊かだと思います。

 

まだまだ、すべてを書き切れた感じはないのですが、これから友人に会いに出かける準備をします。

 

久しぶりの更新の上、長々と読んでくださってありがとう。