あなたはあなたのために

基本的なことを今一度書きなさい。

そう聞こえる朝。

手が動くままに書くことにしよう。

 

 

 

私はいつか、許せない人がいた。

それは地球時間でいえば数年に渡った。

苦しかった。

 

ある時目にした言葉。

“あなたのために、相手を許すのです。相手を許さない限り、その思いに苦しむのは自分でしかありません。あなたのために、相手を許すのです。”

 

腑に落とすには、少し時間がいった。

自我は抵抗した。許さないことで、辛かった自分を守っていたからだ。許したら、自分がどうにかなってしまいそうな気さえした。

 

しかし次々と同じような言葉が、色々なところからこちらに入ってきた。人から聞く話やテレビや本。不思議なくらいに、目につく。また、目につく。抵抗しつつも少しずつ、それを認めて行くしかなかった。

 

私は忘れないように、毎日唱えた。毎日読んだ。許し方なんて分からなかったし。

“あなたのために、相手を許すのです。相手を許さない限り、その思いに苦しむのは自分でしかありません。あなたのために、相手を許すのです。”

 

私は、私のために、許します。

私は、私のために、許します。

 

色々な言葉で、自分に言い聞かせた。

言い聞かせることは、抑圧とは違った。そうやってすり込み、思考回路を少しずつ変化させていったのだ。

 

数ヶ月繰り返している内に、少しずつ許せない思いが溶けて行って、やがて私は私の思いから解放された。

 

それからまた数年経って、あるきっかけからその許せなかった相手に再会した。その時は想像していたより穏やかに会えた反面、付き合いを進めると、やはり腹の立つ人だった。根本的に精神性が合わないのだ。しかし、その場で腹は立ったが、責める気持ちはそう続かなかった。私は私のために、多くを許し上手になっていた。そしてそれと共に、私は潔くその相手との交流を絶った。許す事と、状況を受け入れ続ける事はまた違うのだ。

 

それからも様々な場面で私は私のために多くを許し、私は私のために私が幸せである、楽である選択を続けた。私が平和なら、私の世界は幸せだ。そうやって私が私を幸せにしてあげる事を続けながら、沢山の自分の観念を観察し、掘り下げ解いて行った先に、悟りがあった。まるで玉ねぎを剥き続ければ何もないように、掴んでいたものは何もなかったと、思考でも認識でもない“それ”が、ただ在った。怒涛の愛のエネルギーがハートから溢れて、内外は一体であった。すべての境はなかった。

 

 

まず、あなたが幸せであれ。

あなたのために許し、あなたのために選択し、不足ではなく足りてるものに気づきなさい。足りてるものに感謝しなさい。

 

そして時には感謝できない日も、やっぱり誰かを責めてしまう日もあるかもしれない。そんな時は自分を許しなさい。自分を労いなさい。あなたはあなたのためにあなたを許しなさい。

 

まず、あなたが幸せであれ。
あなたのために許し、あなたのために選択し、不足ではなく足りてるものに気づきなさい。足りてるものに感謝しなさい。

 

(自動手記メッセージ)